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「”智”の教育」探訪シリーズ:早稲田大学 大師堂教授の教育

「一度見に来て下さいよ」と招かれて早稲田大学の大師堂研究室を訪ねたのは十数年昔のことである。
 記憶が薄れてきたが、その時に受けた強烈な印象は今もなお忘れられない。早稲田大学を訪ねるのは、初めてではなかった。大隈重信公の銅像を見ながら15号館にある研究室を訪ねると先ず屋上に案内されてびっくりした。この騒々しい都心のビルの屋上に直径2m余りのパラボラを8x8個並べたテレスコープアレイが据え付けられていた。テレスコープアレイ驚いたのは「これは全部手造りなんです、しかもその殆どは学生のパワーです」という説明であった。さらに、「ちょうどこの建設を始めた時に学部1年生に入ってきた学生と一緒に始めたのです。彼はこの建設とそれを用いた最初の観測で学位を申請することにしています」という大師堂さんの説明を聞いて、なんと幸せな学生であろうかと思うと共にそのような機会を与える大師堂さんの教育に感心した。
 研究室に案内され研究計画について説明をしていただいた後、物理実験の教育に話が及んだ。「これが物理実験のテキストです」と言って見せて下さったB4版2段組のプリントを拝見してまた感心した。最初の課題には「秋葉原に行ってxxxxというLSI を買って来なさい」と書いてあった。内容は除々に難しくなり、後ろの方ではフーリエ変換、雑音の扱いなどが出てくるが、「実験の教育は1から始めるのです」と言われる。何ごとも自力で初めから終わりまでやらせるという精神に感心した。
 それから10年以上の年月が経ったところで、大師堂教授の教育をもう一度拝見することになった。(中井浩二)


早稲田大学、大師堂教授の智の教育現場を訪ねて
那須パルサー観測所  2005年11月21日(月)に大師堂経明教授の教育現場を訪ねた。十数年の間に大師堂教授の研究は大きく発展した。那須パルサー観測所に直径20メートル8素子の大型電波干渉系が建設され、稼働している。那須の見学をしないかという魅力的なお誘いもいただいたが、それは次回の楽しみに残し今回は西早稲田キャンパスにおけるユニークな教育に重点を置いて現場の見学と教育理念を伺うことにした。

学部1年生対象の物理学実験「ランダム過程」
 訪問に先立ち資料として「物理学実験テキスト」を送って頂いた。以前に見せて頂いたプリント版のテキストが立派な冊子になっていた。目次には「ランダム過程の実験の解説編」とある。何気なくページを開いて見ていたが、訪問して最初に驚いた。これが1年生対象の実験だということである。

物理学実験テキスト目次  丁寧なテキストによって理論を自分の手で解き理解したうえで、身近な例を使って実験を行うこと。データの解析などに使うプログラムは、この実験でプログラミングの基礎を初めて学び面白さを感じた学生たちが自主的に作り、発展させている。成果を学生自らが発表をする機会を設けるため 「公開ポスター発表会」を開催している。そのホームページの中で 実験の趣旨は次のように説明されている。

「学部の1年生から、物理学、数学、コンピュータ、エレクトロニクスの体系をきちんと学び、4年間の学生生活のよいスタートを切ることが、学力向上の基礎と考え、物理学実験のコースを整備してきました。3年前から1年間の修得内容をポスターで発表し、学外の方にも批判をあおぐこととしました。1年間の実験内容をすべて展示し、受講学生が担当の実験を再現します。
実験項目は、上記物理学などの分野でつまずきやすい困難な概念を、ステップを踏んで修得できるように、論理的、体系的に配列してあります。 例えば、不確定性関係や統計物理学的な状態の数の数え方、などはこのコースで実体験しておくことで2年,3年の授業での修得が楽になります。またコンピュータ言語を用いて、各自が物理学的な素過程を記述することにより、複雑に見えるランダム過程の本質を深く把握し、かつ現実に役に立つ言語の習得が1年生からできます。
受講生ができるだけ早く自立し、研究、開発の一線で世界と対等な立場に立てることを願ってこの実験コースをつくりました。受験シーズンの多忙な時期とは存じますが、ぜひお時間をさいて、御笑覧いただけるよう、ご案内をさしあげるしだいです。 実験テキストは、お持ち帰りいただけるよう準備してあります。 ご質問、ご意見などはいつでも遠慮なく送り下されば幸いです」

説明して下さる大師堂先生 私たちの見学に対し、わざわざ数人の学生が集って「公開ポスター発表会」のミニ版を紹介してくれた。学生諸君は自分たちの成果について自信と誇りを持って話してくれた。彼らは物理や数学の学生とは限らない。その諸君がブラウン運動だとか、エーレンフェストの壷の実験とかを解説してくれる。良く理解して話していると感心した。彼らはこの実験コースを楽しんでいると思った。
 実験室の書棚には多くの著名な物理学者による原書も用意されており、自由に手に取ることができる。

 ミニ「公開ポスター発表会」を見学した後、大師堂教授と懇談した。学生にも議論に加わってもらった。以下に「智の教育」についての議論の一部を抜粋・編集して紹介する。

「難しさ」に挑戦して知的な喜びを教える教育
中井:ありがとうございました。学部1年生には随分難しいように思いましたが、どのくらい時間をかけているのですか?
大師堂;1回の授業は3時間ほどで3回で一つの課題をこなします。30人近くの参加者が熱心に実験を進めています。そもそもこの物理実験は教育学部の授業であって学生の専攻は物理学とは限りません。地質学や数学などです。もちろん理学部からの応募者も参加しています。
 こういった実験の教育を始めたのは、それまでのコースでは道具の使い方などの説明などが多く、学生がかわいそうだとおもったからですね。技能は大事なのだけれど、物理や数学は体系をもっているので、それを1年生のときにやっていけば4年間をよく過ごすことができると考えたのです。赴任した当時から少しづつ始めました。
中井:学生がよくついて来たものですね。教えられる方も教える方も難しさに挑戦しているわけですね。
大師堂;もうひとつ、この2,3年、高校生に相対論の講義もやっています。文系の校長先生の学校ですが、6時間ぶっつづけの入門授業をやってみようとことになりました。
 学部の一年生は非常に一生懸命にやる。だから高校生も大丈夫だと思いました。一月前から準備をして、夏休みにまる一日かけてやりましたが、高校生はものすごく頑張る。出してくる質問もとても深い。例えば、3次元はイメージできるけど4次元はどうやってイメージするのですか、と聞いてくる。高校の先生もびっくりしていました。こんなに長時間、ノートをとり続けてやると思いませんでした、とおっしゃっていました。その後、毎年やっています。


「理科離れ」は理科だけではない
懇談 大師堂;理科離れといいますが、理科から離れただけではないのです。数学のように論理的に考える教育をやめてしまった。それが国語や社会や歴史にも影響を及ぼしているのです。論理的な展開をすることを、おろそかにしてしまい、そのために論理的に文章を書く能力も落ちてしまいました。
中井;まったくその通りだと思います。理科から離れたのではなかった、自分で考えることをしなくなってしまった。それが問題なのです。「理科離れ」対策と思って科学技術の成果を宣伝してもそれだけでは解決にはならない。
大師堂;数学者は過去に二つの過ちをしています。一つは抽象的な集合論を小学校に導入してしまったこと。これには世界的な流れがありました。特にフランスで、小学生から抽象的な思考を訓練すべきだといわれた。しかし有限集合のみ。実際は無限集合しか使わないのに、抽象的な概念を入れてしまった。
 もう一つの失敗は、ユークリッド幾何学を教育課程から大幅に減らしてしまったことです。線形代数、行列式が解ければよいからという工学の潮流に流された。しかしユークリッド幾何学が好きだった人はとても多い。例えば文学部にさえユークリッド幾何学が好きな人はたくさんいます。それなのに数学の幅をうんと狭くした。ユークリッド幾何学は何時間も思考錯誤してやる一番よいものだった。その楽しみを奪ってしまって、数学をつまんなくしてしまったのです。
学生;塾講師をやっていたときに、5歳年下の学生を教えていたのですが、その傾向を強く感じました。証明や公理を積み重ねていく課程を重視せずに、まず最初に結果を見たがるのです。


教育のプロを作ってはいけない
中井;「一般にプロを作ることはよくない」と思いますが、特に教育のプロを作ってはいけない。例えば昔は職がなかったので、物理の先端で研究をする傍ら中学や高校で物理を教える先生がたくさんいました。ところが、教育専門職が現れてその機会を奪ったのでおかしくなった。全て教育専門の先生になってしまったことが問題だと思うのです。教育専門職は考え方が全く違います。教育のモチベーションが全く違います。そしてやっていることは結果重視の「知の教育」なのです。
大師堂;ギルドを作ってしまうのが間違いですよね。
中井;工学・医学・法学系の人と、理学・文学系の人との間にも大きな考えの違いがあります。前者には「知の教育」を重視する人が多いという感じがします。
大師堂;工学の世界で、しっかりした物理や数学やエレクトロニクスを理解して幅を持った人がたくさんいることが非常に大事だと思います。日本はその教育がおろそかにされていると思います。
 工学関係でもソニーや本田などには現場でたたきあげられたいい人がいる。アメリカは競争社会なので結果重視ですが、ヨーロッパと比較するとアメリカの技術の相対位置は下がってきている。天文の望遠鏡でもいくつも例があります。
中井:加速器の周辺技術でも、1970年頃まではアメリカがトップでしたが、超伝導技術が出てきた頃からヨーロッパ・日本に追いつかれ、基礎の弱さを露呈したと思います。


第一線の研究者と学生のふれあい
学生との懇談大師堂;例えば量子重力論のように、簡単に解ける問題ではないけど、そういう大問題を追いかける人が必要だと思うのです。しかし日本にはそういう雰囲気はないし、大學に多くの人を置くことは難しい。だから、高校の先生や中学の先生が活躍する場を広げることが大事だと思います。学生もそういう話を聞きながら学ぶのと、ただ問題集をやるのでは全く違うと思うのです。
中井;理科大では第一線の人に講義してもらう特別講義のシリーズをやりました。学生は喜んでました。中学校・高等学校でもそういうことをすると成功すると思いますね。しかし「知の教育」を重視する教育専門職支配の教育ではだめでしょう。国が作る教育指導要領を全く無視して教える、そういう塾があってもいいと思います。そのような考えはまさに早稲田の精神だと思うのです。明治のはじめ、欧米の真似をして欧米に追いつくために創られた東京帝国大学が国立大学の原点でした。早稲田大学にはそれに対抗する精神があったわけですね。今こそ、私立大学が立つときだと思います。理科大も創立の精神を読むと、高い理念が謳われています。 「教育の民営化」をすることが大事だと思っています。


話し合いのあとで
 この他、議論は尽きなかった。私学の可能性、自由な塾の教育への期待、等々全部は書ききれないので割愛したが、最後に、日経新聞に掲載された大師堂教授のオピニオンを紹介する。その中で大師堂さんは「若者が教師から研究の息吹きをを感ずる時期として、大学の学部からでは遅すぎる」と主張し、高校から大学初年度の意欲に溢れた世代の学生の教育、特に高校の教育に、第一線の研究者が参画することの重要さを論じて居られる。全く同感である。既に、高校への出張教育などの努力も始まっているが、その際、大切なのは生徒との接触である。ただ1回の出張講義ではなく、昔のように研究者が高校教師になる道として、例えば研究業績のある研究者を非常勤職の高校教師として雇う道を探るべきであろう。



冒頭の写真2点(テレスコープアレイ、那須パルサー観測所)は大師堂研究室ホームページより転載
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