「21世紀の学術と科学技術」を論じた リンクス・リセウムシンポジウムで、多くの参加者は従来の研究者主導の学術行政から政治・官僚主導の科学技術行政に移行することの危うさを心配した。学術の文化的・精神的面が見落とされると感じたからである(アルス・フォーラム No.1 : アピール)。その後、科学技術基本法・基本計画が成立し科学技術予算が大幅に増額された1998年度予算を見て、科学技術におけるバブルの始まりであると心配した先輩は少なくなかった。 その心配が現実になった。ここ数年の間に情けない事件が次々と起っている。論文捏造、不正経理 等々、悪質な事件が学者・研究者と呼ばれる仲間の中で起っている。公共事業におけるスキャンダルと同じである。このようなことで科学技術に対する社会の信用を失うことは恐ろしい。真摯に学術研究に取り組み、世界を舞台にした競争と協力の場で活躍する研究者達の努力が妨げられる結果を招く。また、後を継いでくれる若者にも暗い印象を与えては大変である。この問題にどのような対応が考えられるであろうか? 国や官僚の対応は、まず規則や規制を強化し、不正が発生すれば罰することくらいしか考えられない。行政の限界である。責任者を処罰する、予算をカットする、場合によれば弁済を求めるなどが考えられる。しかし、それでは解決になっていない。解決は研究者の心に訴える問題だからである。 学術会議などの研究者組織は何ができるであろうか? 戦後の半世紀を支えた学術会議の果した役割が頭に浮かぶ (中井:原子核科学の半世紀 第2部「大型研究を支えた研究体制」)。戦後の混乱の中で我が国の原子核科学を建て直すに当って、広島・長崎の悲劇を目の当たりにした日本の原子核科学研究者は、いかなることがあっても原子爆弾の製造に手を汚さないという強い決意をしこれを護ってきた。昨今のような心の貧しい科学者が出てきて、お金欲しさに原爆製造でも何でもするというような事態が生じたとすると恐ろしいことが起こり得る。これまでの学術会議における研究者の結束は原子核科学者の心に深く入り込んでそのような科学者の出現を許さなかった。そして科学は完全に科学者の手の中に握られていた。 「科学バブル」と先輩が呼んだ今日の科学技術の繁栄の中では、科学技術政策が科学者の手から離れて政界・産業界の意向を体した人達に支配され、物欲・金欲・名誉欲あるいは自己顕示欲に迷う科学者の社会が作られつつある。その中で学術会議などの科学者の会議がどれだけ力を持てるのかと思うと暗い気持ちになる。 それでは、われわれの同友会は何ができるのであろうか? 国の政治が悪いのは、政治家や官僚も悪いがそれよりも国民が悪い。同じように学術行政が悪くなるのは、政治家や官僚も悪いが、研究者が悪い。そう考えると、我々のできることは、先ず研究者仲間の心に訴えることである、学術研究の本質を見極め純粋な学問的精神に基づいた行動を目指す心を育むことにある。本会の事業の目標は、行政や社会に訴える前に研究者仲間に訴えその中から行動を起こすことにあると改めて確信を持った。 社会に対する研究者の責任と貢献について考えるとき、戦後の原子核研究と原子力開発は、良い面も悪い面も併せて世界に類を見ない優れたお手本である。とりわけ、学術会議の果した役割は大きい。これをアルス討論会の一つのテーマとして考えたい。 |
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