アルスの会 〜文化としての学術を護る 学術文化同友会〜
アルス・フォーラム No.7



 ”智”の教育「アルス遊学塾」創設の提案
 近年の科学技術振興策は、科学技術基本法・基本計画の施行によって研究費の増額を実現し、豊かな研究環境を造り出して成果を挙げています。しかしながら、官主導の新しい態勢は様々なところでほころびも目立ち始めました。殊に能率と成果のみを重視する評価態勢の下で展開する競争的環境は研究者の精神的支柱を崩し、基礎科学の振興を阻害していると感じられてなりません。
 そのような環境の中で「文化としての学術を護る」ということが「アルスの会」に自分たちで与えた課題でありました)。「研究」と「教育」の両面で感じられる問題を解決するには、かつての日本学術会議のような科学者主導の学術振興態勢が望まれるところですが、その時代への回帰が望めない今では、小さな規模からの努力が必要であると考えます。  かつて、吉田松陰が始めた小さな「松下村塾」がついには日本の体制を変えた歴史があります。また、後になって、松下幸之助が「松下政経塾」を作ったのも、松下村塾のような将来を語れる青年の塾を作りたいという考えによるものであったと聞いています。「アルスの会」も学術の将来を担う青年を育てる事業として「塾」を作ることを提案したいと考えます。

かねてより提案したいと考えてきた「塾」のイメージでは次のような要素を考えています。
 ★ 名称は、アルス「遊学塾」とすることを提案します。「遊び」の大切さを強調したいと考えます。
 ★「遊学塾」は、自主自立の精神に満ちた少数精鋭の若者を対象にします。真に学問を志す若者を!
 ★「遊学塾」は、塾生の能力を超えた難題を与え、力を合わせて解決した時の達成の喜びを教えます。
 ★「遊学塾」における教育・指導は、塾生相互間の自主性に委ねます。指導者は後方支援をします。
 ★「遊学塾」は、地域、対象年齢、内容の高さなどに応じて形成し、複数個作りたいと考えます。
 ★「遊学塾」は、1大学1研究機関に偏らず、可能な限り複数の機関からの参加者で構成します。
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 この提案についてはアルス幹事会を中心に検討し、慎重に計画を練ってしっかりとした理念に基づく「遊学塾」を立ち上げたいと考えます。

「遊学塾」の目指す目標は「真に学問を志す若者を育てる」ということに設定して議論を始めます。 (中井浩二)


「遊学塾」提案の背景
 いわゆる「理科離れ」が大きな話題となり始めたのは、1990年代の初めでした。物理学会でも応物学会、物理教育学会と共同で議論を重ね3学会会長が連名で声明を出しました。文部省でも、研究体制特別委員会を中心に議論が重ねられ、その対応策として後継者養成が大きくとり上げられました。この時、私は一連の議論に加わりながら「理科離れ対策」→「後継者養成」という単純な考えに抵抗を感じていました。

 後継者養成といっても、二つの観点に基づく考えがあります。特に、理学・工学・医学など各分野の人の意見に大きな差があると思いました。つまり、次の二つの観点は異なっていると思いました。
  (1) 日本の科学技術産業を支える理系マンパワーの増強
  (2) 基礎科学の振興に努め学術研究を支える後継者の育成
 当然、「社会の要請」という名の下に進められる前者(1)に力点が集まり、その対策が始まりました。PD研究員、若手奨学制度、等各種の方策が強化されてきました。しかし、そのことが (2)学術研究の後継者養成に及ぼす影響に一抹の不安を遺しています。
 新しい世紀を迎え、科学技術基本法・基本計画の実施に伴い、新しい文科省による官主導の科学技術政策の下で、競争資金を軸とする研究体制が固まってきました。新しい体制の下で、研究資金は豊かになり、同時に研究資金による人材の確保が可能になるという状況が実現すると共に、科学コミュニケーションに関わる各種の活動にも資金が投入されるようになりました。「理科離れ」の議論がこのような展開を導いたことは素晴らしいことであると慶びました。新しい科学技術振興策の中で、私の「抵抗感」や「不安」は吹き飛ばされたと思っていました。
 ところが、最近、東大や京大の仲間から後期博士課程に進学する学生の減少傾向を嘆く声が聞かれるようになりました。これは、私が晩年務めた私立大学では新しい話でなく、特に工学や薬学など実学に近い分野では、殆ど全ての学生が修士課程を終えたところで就職の道を選んで社会に進出します。それは良いことですが、後期課程に進んで基礎研究を続ける人がいないのでは学術の将来が心配です。特にその傾向が東大や京大にまで広がることは座視できないことであります。いま、私たちには、学問を護るため人材育成の努力が望まれています。
 「真に学問を志す若者」を育てる努力が必要であります。それには若者が自分の将来を考える時期を迎える学部から博士前期課程の学生或いは高学年の中高校生に対する教育が重要です。彼らに対しては、学問の面白さを訴えるばかりでなく、その喜びを体得させることが大切であると考えます。

 「真に学問を志す若者」を育てるには学問をやさしく説くだけでなく、むしろ、難しい課題に挑戦し、それを解決したときの達成感を体得させることが大切であります。 知を学習させるのではなく、智を体得させる教育が大切であると考えます。
 例えば、微分方程式の解法を講義しても多くの学生は面白いと思って学んではいません。しかし、その彼らでも難題を自力で解かせると、その達成感は限りなく嬉しいものであることを体感してよろこびます。
 私たちが東大の山崎・中井研で経験した学部学生による小型サイクロトロン建設のプロジェクトは成功例の一つであったと思っています。このプロジェクトに参加した多くの人は、いろいろな分野における学術研究の世界で教授・准教授、或いは主任研究員として第一級の研究を進めて居られます。これを始めた時、多くの人は学部3年生にそんなことができるかと疑いました。しかしやり遂げた時の学生の喜びは大変なものでした。 同様の例は沢山あります。早大では、大師堂研究室で64基のパラボラアンテナから成る電波干渉計を学生の力で建設されました。大阪市立科学館では、高校生・大学生に自力で企画し実践させたイベントが成功を収めました。若者は、喜んで難題・難事業に挑戦し、成功させた時の達成感を学びました。そして彼らには次に挑戦する気持ちが育ちました。「遊学塾」はそのような教育をめざしたいと考えます。



 「遊学塾」の手本としたい前例 

「遊学塾」では、その精神から考えるとテーマの選択も若手に提案してもらうことが望ましいわけですが、それは易しくないのである程度はガイドを示しテーマ選択のヒントを与えることが必要であると 思います。そこで、これまでに行われた例を考えてみました。 五月祭サイクロトロン 

[A-1] 小型サイクロトロンの制作:
 東大の学部3年生が春休みに集まりローレンスの最初のサイクロトロンと同じ大きさのものを目指して設計・製作しました。5月祭を目指して毎年約10人が集まり5年間をかけて遂に粒子の加速に成功しました。参加者からは素粒子原子核分野ばかりでなく各分野でのリーダーが輩出しました
テレスコープアレイ
[A-2] 電波干渉計の制作
 早稲田大学の大熊重信公の銅像の近くにある15号館の屋上に8x8基のパラボラアンテナから成るがテレスコープアレイが据え付けられブラックホールの研究のために天空を睨んでいます。これは、まったく学生の力により約10年をかけて建設されたものでした。

[A-3]:「青少年のための科学の祭典 ― 科学の基礎を訪ねる」
「自然科学の基礎を訪ねる」  大阪市立科学館では、その行事「青少年のための科学の祭典」の企画・運営を中高校生・大学生に任せ学生・生徒の自主的な努力で科学を学び、市民に科学の魅力を伝える企画を成功させました。




 この他にも、各地でいろいろな企画が進められています。例えば、
   高エネルギー加速器研究機構 ”サマーチャレンジ”
   大阪大学理学部       ”オナーセミナー”
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 情報をお持ちの方は、お報らせ下さい。




「遊学塾」の具体的テーマ (案)
Youngの干渉
 物理学における先達が行った実験を近代の進んだ技術で再現し、その学術的意義を体験してもらう 企画などを考えて学生に提案し、具体的実験の計画・設計・実行を学生にまかせます。

[1] 単光子観測によるヤングの干渉実験
Youngの干渉  光の波動性を示すと信じられた干渉実験を、単光子観測で観測することにより、光の粒子性を体感し、波動性の意味を理解します。
 この実験を通じて量子力学における波動関数の意味を学びます。KEK-PS実験で体得したイメージインテンシファイアをスクリーンに使えば、単光子観測は 容易なので、こんな基礎物理の実験を学部学生に体験させる機会を作ることができます。





[2] 陽電子の観測
(1) アンダーソンが陽電子を発見したように宇宙線に含まれる陽電子の観測を試みます。 或いは、
(2) 重い金属に入射したガンマ線が起こす電子対創成過程を実際に観測します。
陽電子 霧箱を製作して行うことも可能かも知れないが、難しければKEK-PS実験で開発されたSCITICやSCIFIを用いると容易にできると思っています。SCITICやSCIFIの技術を習得することも魅力的です。




[3] 宇宙線ミュオンの観測・寿命の測定
     
宇宙線ミュオン 宇宙から降り注ぐミュオンを、プラスチックシンチレーションカウンターで捕らえ、その信号を論理的に組に上げた電子回路のモデュールで処理して電子に崩壊するまでの時間を測りミュオンの寿命を決めます。ミュオンのエネルギー分布や天頂角分布を測ることもできます。



[4] コンプトン散乱ガンマ線と陽電子消滅ガンマ線 ポジトロンコンプトン
(1) コンプトン散乱ガンマ線の角度分布
 を測って解析し、クライン・仁科の式
 について学ぶ。
(2) 陽電子消滅ガンマ線の角度相関に
 ついて学ぶ。
(3) PET、コンプトンカメラによる
 イメージングの基礎応用について学ぶ





[5] 高温超伝導体の作製とマイスナー効果「磁気浮上」の観測
高温超伝導体を自作し磁気浮上を体験します。 高温超伝導
 この実験は、物性実験のほとんど全ての技術を習得する良い機会であり、また、広い応用技術が展開する超伝導現象の実際を体験できます。
 話題のリニアモーターカーの模型を作ることも考えられるし、非常に楽しい実験になります。
     

 



[6] RCNPにおける核医学用RI製造・開発
 医学・生命科学・等の分野では、現象の追跡手段として専ら染色法や蛍光観測法が用いられています。
しかし、光は透過性に欠けているので制限が多く、また定量性のある観測は難しいことです。そこで、ガンマ線などの放射線が特徴を発揮するケースが少なくありません。
 RIをプローブとしたガンマ線によるイメージング法は、各種の薬剤や生体物質の体内における挙動を調べる強力な武器であります。ところがRIの使用には危険が伴うので規制が強く、教育・管理体制は充分厳しく行われていますが、放射化学を担う若手で有能な人材の減少が嘆かれています。
 幸い、大阪大学のRCNPには、RI製造・管理に関して他の施設では望めない環境が整っていて、特に核医学研究者の注目が集まっています。一方、大阪大学理学部には伝統を誇る放射化学の研究室があって医学部研究者との協同により、核医学の新しい発展を促す可能性があります。
 医学利用の可能性を見通して核種を選び、そのためのRIや、RI薬剤の製造を開発する人材の養成を図りたいと考えます。


[7] RCNP-AVFによるp-Be中性子源の設置と放射化分析
 大阪大学が設立された1930年代、菊池-青木(熊谷)-伏見先生は新設のコッククロフト加速器による中性子を用いて原子核実験を始め数々の成果を挙げられました。 その頃、ローマ大学ではフェルミがやはり中性子実験を始めていました。フェルミのやり方は少し違っていて、天然のラジウム(Ra)のα崩壊を利用しRa-Be中性子源を水に浮かせて中性子を減速させアイソトープを作っていました。
「フェルミの盥桶実験」と呼ばれています。中性子の反応断面積はその速度に反比例して大きくなることに注目した方法でした。 中性子実験
 フェルミは、その中性子の減速と拡散を追究して原子炉の理論をまとめ、原子炉を完成させました。原子炉の出現により、中性子の利用は基礎と応用の両面で科学の発展に寄与し、社会に大きな貢献をしています。とりわけ原子炉による核エネルギーの利用や、中性子線回折実験が注目されます。しかし、中性子科学は、もっと広く多彩な可能性を提供します。例えば、同位元素利用・核医学・放射化分析・中性子イメージング・・等です。これらの科学の基礎となる中性子物理の基本を体験的に学ぶプログラムを考えます。
(1) 変形「フェルミの盥桶実験」: Ra-Be中性子源に代わりRCNP-AVFサイクロトロンによるビームをBe標的に照射して中性子を発生させる。盥桶の代わりに水を満たしたドラム缶を置きその中央に標的を置く。
(2) 金泊の放射化によって中性子束の強度分布を測定し、フェルミの原子炉の理論を使って評価する。
(3) 放射化した金箔の放射能の絶対測定を行い、絶対測定のむつかしさを学ぶ。
(4) 未知物体の放射化分析を行う。


[8] 赤外レーザーライダー法による大気汚染の観測
 波長が3から15ミクロンの赤外領域は、ほとんどの化学結合に対応して各物質に特徴的な吸収線が観測されるので「指紋領域」と呼ばれています。この領域をカバーする赤外自由電子レーザーは、大阪大学と東京理科大学に建造されています。その特徴は、波長可変で高出力のパルスレーザーを発生出来ることです。この装置を用いた赤外レーザーライダー法を開発し大気汚染物質の分布をモニターすることを計画しています
。  赤外レーザーライダー法とは、赤外レーザー光を天に向かって放出し、大気に浮遊する汚染物質による反射光を地上の反射望遠鏡で検出する方法です。この時、パルスレーザーを用いるので反射して帰るまでの時間を計ることによってレーザーの波長に対応する汚染物質の高度を知ることができます。
 究極の狙いは、赤外自由電子レーザー装置を小型化して船舶や飛行機に装備し世界各地で測定するという大プロジェクトにつながる計画でありますが、その第1段として、この方法が有効であることを確認するためのフィージビリティを調べます。
 最初は加速器でなくDFG(Differential-Frequency Generator)法による赤外レーザーを用いた試験から始めることを考えています。