原子核科学の半世紀
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原子核科学の半世紀 日本の原子核科学ー廃虚の日本から繁栄の日まで

序文「はじめに」より

 20世紀後半の日本の科学の進歩は劇的であり奇蹟的である。とりわけ、原子核科学は、世界に そして後世に模範を示す特異な発展を示した。

 太平洋戦争に敗れて、戦場から大学に研究者が帰ってきた時、その研究環境は惨めなものであった。それでも研究者達は、旧日本軍の廃兵器や占領軍の放出兵器の中から実験器材として使えるものを見つけ出し、加速器や測定器やその他の実験素材を整えて廃虚から立ち上がった。科学者にとっては、学問の未来に対する限りない希望と憧れが苦労に耐える支えであった。

 科学者の努力は、ただ戦前の研究環境を取り戻し研究を進めようというだけではなかった。科学研究の在り方を考え研究体制を築くとともに、科学の社会的責任を深く考える科学者コミュニティを創りあげた。広島・長崎の被爆は、日本の原子核科学者にとって特別の意味をもつ大きな警鐘であった。自らの進める科学の成果が恐るべき結果を招いたことへの憤りと反省は、原子核科学者のこころに強く刻まれた。その中から日本の原子核科学者は、社会に対する責務を強く意識しつつ自分達の将来を拓いてきた。

 原子核科学者にとって、日本学術会議の存在は大きな意味があった。学術会議と、その下部組織としての研究者集団は、研究者コミュニティの意見を集約して将来計画を立案する舞台としての機能を果たし研究計画推進の軸となった。他方、学術会議を通じて科学者が社会に働きかける機能も重要であった。原子核科学者は、この学術会議の二つの機能を最大限に活用した。日本の原子核科学者が築いた研究者主導の研究体制は世界に誇れるものとなった。

 この原子核科学の感動的な発展は、この際記録に残すべきであろう。先輩のどなたかがなさればよいと考えていたが、無謀にも自分で手がけることにした。ここでは、戦後の科学史を書こうなどという大仕事を考えているわけではない。筆者の意図は、科学技術の中では限られた分野であるが、その中で起こったことを振り返り、研究環境の整備と、研究体制の確立に向けた先輩の努力を記録することにある。
原子核科学の半世紀(PDF)
目 次
はじめに
20世紀の歩み
序章 日本の原子核科学ー廃虚の日本から繁栄の日まで

  日本の原子核研究の起点
  大阪大学の創設と原子核物理学
  戦争の傷跡と復興の道
第1章 原子核・素粒子物理学の歩み
  ローレンスの訪日 - 日米研究者の友情
  原子核研究連絡委員会 - 全国共同利用研究所の提案
  京都大学基礎物理学研究所 - 全国共同利用研究所第1号
  東大原子核研究所 - 大型加速器の全国共同利用
  高エネルギー物理学研究所 - 大学共同利用機関第1号
  陽子シンクロトロンとトリスタン- 高エネルギー研究の第1・第2段階
  トリスタンとニューマトロン
  高エネルギー研究所における学際的プログラムの展開
  高エネルギー加速器研究機構 - 高エネルギー研究所と原子核研究所の合体
  理研・原研・放医研 - 多様な日本の研究体制の強み
第2章 原子力研究の歩み
   原子核研究と原子力研究
  茅・伏見提案 - 原子力研究の生みの苦しみ
  中曽根予算 - 政治家による原子力開発計画
  原子力憲章 - 原子力三原則 - 原子力基本法
  原子力研究所 - 原子力技術の輸入から国産化
  基礎研究と応用研究 - 筆者の4年間の経験より
  核融合研究
  核融合開発計画のA・B論争
  核融合開発B計画への道
  A計画が培った日本の強み
大型研究を支えた研究体制(PDF)
  新生日本の学術体制刷新の努力 - 学術会議の誕生まで
  日本学術会議の誕生 - 研究者の意思決定機関
  ICFA:大型加速器による国際共同研究を支え研究組織
  ICFAガイドライン - 大型装置国際共同利用の基本理念
21世紀を迎える科学の光と影
  科学技術基本法が開く新時代 - 期待と不安
  基本計画に対する科学者の意欲と責任感
  戦後の学術研究が歩んだ道
  科学と政治・経済の関わり
  科学と社会
  科学の社会貢献 -「役に立つ科学」
  科学とこころ
[付録 1] 年譜:原子核科学の主なできごと
[付録 2] インタビュー:原子力開発の現場を歩んで