「アルスタウンミーティング シリーズ2011」原子力平和利用::過去の総括と次世代への提言
アルスの会では、2年前にアルスタウンミーティングシリーズを京都-仙台-東京で開きJ.J.ルソーの文明批判をとり上げ勉強しました。「学問や芸術の進歩は奢侈・退廃を招き、徳の喪失を招く」と彼が「学問芸術論」で論じた批判は、まさに福島原発事故を予言しているように思えます。この反科学的思潮を生むような批判に対し、「学問と芸術は社会の精神的・文化的風土を高める営みによって社会を救う」という、より本質的で大きな貢献に注目するV.F.ワイスコップの考えを紹介して、学術文化の薫りを求める私達の努力を自己評価しました。
それから2年を経て起った福島原発事故は、はからずも「科学と社会」の接点における困難と過ちを具現し、反科学的思潮の芽生えを感じさせる社会現象を生み出しています。事故の原因が地震や津波であるという天災であれば別ですが、事故の一部始終が明らかになればなるほど、事故は人災によるものであり、日本の社会の弱さ、後進性に原因を求める要素が重なっていることが明らかになっています。しかし、何よりも大きな要素は戦後半世紀余りの間に於ける政府と電力業界の強引な原子力政策にあると言えましょう。
このアルスタウンミーティングシリーズの第2弾では、標記のテーマのもとに充分に時間をかけて、未来に向けた前向きの討論を積み上げて行きたいと考えます。特に、核エネルギーの解放という科学の大きな成果が、原子力の軍事利用、原子炉が抱える重大な危険性、によって悲劇を生んできたことは無視できませんが、エネルギー利用ばかりでなく、例えば、アイソトープの核医学的利用、工学的利用や、放射線利用のような新しい可能性を開いたこと、また、エネルギー利用に於いても単に火力発電・水力発電を補うという消極的理由ではなく、原子力だからこそできることに注目すべきであります。かつて原子力潜水艦ノーチラス号が成功させたサンフランシスコ→北極海→ニューヨークの航海は通常の潜水艦には考えられないことで世界中が驚いたことは余りにも有名ですが、そのような可能性を考えると胸が踊ります。
福島原発事故の教訓を踏まえ、原子力開発の夢を語れるような社会をめざして、 原子力利用の未来を考える機会にしたいと考えます。「科学」が進むとき「社会」がそれに追いつかないと悲劇が起ります。福島原発事故の問題はそのことを教えてくれたと思います。
アルスタウンミーティングには、今後、TV会議の方法を部分的に導入することにしました。最終的には、各地からいろいろな方に参加いただいて interactive な討論ができるようになりたいと考えています。 皆様のご理解とご協力をお願い致します。
詳細情報 はここをご覧下さい。
[第一部] わが国の原子力研究創始期の夢とその後
アルスタウンミーティング@東京(7/23) (副会場;大阪、仙台)
2011年7月23日(土) 13:00〜17:00
東京大学理学部1号館 10階 1017号室
話題提供:小沼通二 (慶応大学名誉教授, 元日本物理学会長)
コメント:山口嘉夫 (東京大学名誉教授, 元IUPAP会長、- -)
コメント:高橋嘉右 (KEK名誉教授, 元KEK副所長、- - -)
(1)学術会議に於ける原子力平和利用推進の発案 ー 研究者主導の路線
(2)原子力軍事利用に対する厳しいチェック、原子力三原則、など
(期待する討論内容:文責中井)
日本で原子力平和利用の開始を最初に提案されたのは坂田昌一先生であると教わって驚いたのは私だけではなかった。先生は原爆など核エネギーの軍事利用について反対運動の先頭に立って厳しくチェックして居られたからである。しかし、それだからこそ平和利用に力を入れられたのだから驚くほうが悪い。坂田先生・武谷先生らのイニシャティブで原子力利用が進んでおれば原子力政策はもっと良い道を歩んだに違いない。政府と電力業界が「安全神話」を作り、補償金制度などを利用して強引に進めた政策の過ちが福島の不幸な事故の原因であると考えると、なぜ、坂田先生や多くの物理学者が原子力政策に対して距離を置かれたのか? 政府・財界の側が物理学者の影響力を排除しようと画策したのか?知りたいと思う。
アルスタウンミーティング@大阪(7/31) (副会場;東京、仙台)
2011年7月31日(日) 13:00〜17:00
大阪大学核物理センター 4階 大講議室
話題提供:住田健二 (大阪大学名誉教授, 元原子力安全委員
コメント:馬場 宏 (大阪大学名誉教授, 元原研RI製造部)
(1)財界・産業界による国策としての原子力利用推進の熱意
(2)福島原発事故と東海村JCO事故における初期対応、など
(期待する討論内容:文責中井)
1956年に日本原子力研究所(原研)が発足し、次の年に約50人の新人を採用した。私もその一人で原子力という新しい事業に夢を描いていた。原研はその前年に財団法人として生まれていたが国会で法律ができて特殊法人原研になった。その財団法人原研の時代から原子力事業推進に努力された数人の中のお一人が住田さんである。夢を抱いて夢を実現された。原研は巷の人達から夢を託されていた。財団時代の初代の理事長は元経団連会長の石川一郎氏であった。ある日、石川一郎理事長は私達新入の所員数名に「無用の用」の大切さを説かれた。大学を出て始めて偉大な財界人に巡り会えた幸せを胸に秘めた。原研は、米国から1号炉JRR-1を輸入して建設した。続いて2号炉JRR-2も輸入された。そして3号炉は国産1号炉であった。住田先輩は大活躍であった。しかし、何もかもが輸入で、技術も輸入であった。若い仲間はみんな忙しく、忙しさを楽しんだ。しかし、基礎的な研究をやると言う雰囲気は欠けていた。自前の技術が育つ雰囲気ではなかった。
それから何年も経ち、原子力開発も落ち着いたと思われた頃、東海村で世界を驚かすJCOの臨界事故が発生した。このとき原子力安全委員を務めて居られた住田先輩がその初期対応を適切にリードして事故の拡大を抑えられた。福島の事故とは対照的である。
アルスタウンミーティング@奈良 (8/1) (副会場;なし)
2011年8月1日(月) 13:00〜17:00
奈良商工会議所 4階 小ホール
話題提供:能澤正雄 (元日本原子力研究所理事)
コメント:坂東昌子 (愛知大学名誉教授, 元日本物理学会長)
(1)高速炉開発の努力が活きた"常陽"と活かせなかった"もんじゅ"
(2)原子力船開発をタブーにした誤政策、原子炉の安全設計、など
(期待する討論内容:文責中井)
わが国における高速炉開発プロジェクトの創始者能澤先輩は阪大菊池研出身の原子核研究者である。約10人の若手を集め新しい開発グループを育てられた。実験物理学者の能澤さんは「何事も自分が納得するまで徹底的に調べて取り組む」という方針で研究を進め若手を育てられたが、原研上層部から批判を受けたそうである。海外で既に判っていることを繰り返して研究することは不経済であるということである。合理的ではあるが、それでは若手の人材が育たない。この問題は原子力開発行政の最大の欠陥である。不幸なことに高速炉開発のは“常陽”の設計までで、政治的理由により突如動燃の手に移ってしまった。それ迄の開発研究の業績と育てた人材は受け継がれないで、動燃は“もんじゅ”の建設に大失敗を犯かす結果となった。
能澤さんはまた原子力船「むつ」問題の担当理事として後始末を引き受けられた。「むつ」建造による優れた成果は活かされず、原子力船研究はタブーとなっている。いずれの例も原子力行政の過ちである。
[第二部] 福島原発事故の反省とわが国の原子力研究の未来を考える
半世紀を振り返った[第一部]の議論をベースに、[第二部]では原子力研究の今後のことそして未来について考えたいと思います。それには先ず福島原発事故の反省から始めます。既に明らかなことは、原子炉という危険なものを用いる原子力発電において、ハードウエアの技術的改善・強化と並んで、或はそれよりも大切なことはソフトウエア、つまり人的な組織・体制の欠陥に注目し改良することが必要であります。それに何よりも優れた人材が危機に対応できる体制をつくることであります。それは人材の養成から考えなければなりません。
ともすれば経済効果とか、景気刺激策とかに目が向かう財界・政界の考えで動く科学技術行政に対し、人の心を重視して科学に取り組む姿勢を求めることが「アルスの会」の基本理念であります。言うまでもなくそのことは原子力に限りませんが、原発事故は、大きな教訓を与えてくれています。「科学と社会」について考える時「原子力と社会」は 最適のテーマであります。[第二部]では、特に人材の育成・養成について集中的に討論したいと考えます。教育の問題にまで踏み込む議論が必要です。技術教育の改良をめざす努力が、単なるマニュアル作りに終わり、結果として何事もブラックボックス化して「想定外」のことに対応する能力が育たない結果に終わるようではなりません。
タウンミーティングシリーズ[第二部]の企画はまだ決めかねていますが、議論を深めるため合宿形式の会合が適していると考えています。参加希望者のご意思を確かめたいのでもう少し時間をかけ、[第一部]のミーティングにおいてご意見を集めながら考えたいと思っています。